絵に入れてる文言をまとめて解説⭐︎
一枚絵にデカデカと文字を入れるのが好きです。ポスターみたいで可愛くなるし。
ただ文言を考える才能がないので好きな文献からの引用がほとんどなんですよね〜。しかも選ぶ基準は「カッコいい」「好き」とかが中心なので、脈略がなく、紹介するのも気恥ずかしくて、分かる人が分かればいいかな〜!気付いた人は私とハイタッチ🙌ぐらいの気持ちでやってたんですが、頂いた反応で(もしかすると解説した方がいいのかも、、?)と思ったので、今回はここ一年ぐらいの絵をまとめて解説します!尋ねてくれたフォロワーに感謝です。

右上の文字はF. Bacon の Of Plantations から取っています。
https://www.authorama.com/essays-of-francis-bacon-34.html
ベーコンのエッセイ集の内の一つですね。植民政策を学ぶものなら馴染み深い文章で、1600年代初頭というのもあり、英語だと相当古く、植民地の定義として紹介されるときは最初期のものとして出てきます。文章自体は流石ベーコンというか、喩えが俊逸で、とにかくカッコいい、、!!!めちゃくちゃ好きなので良く引用するし、文中の表現をモチーフとしても使います。
特に植民を植林に例えているパートが最高なので好きなんですが、木ですよ?地に根を張る木にさ、入植者を例えるその残酷さですよ?一回入植しちゃうとそこに定着して移動することができなくなるんですよ?!エモすぎだろ……
↑の絵ではイングランドの後ろに林を描いてて、少しだけモチーフとしては入れているのですが、だいぶ分かりづらいかもしれない。

だいぶ似たような絵なので、次はこれに入ってる文字の元ネタについて。
まず左上のNova Britanniaですが、こういう題名の本があります。どれぐらい有名なのかは不明ですが、私が知っているということはかなり有名なのでしょう。1609年に発行された小冊子で、Nova Britannia = Virginia です。ヴァージニアって素晴らしい土地だからどしどし入植しちゃおうぜ!っていう本です。
https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A04581.0001.001?view=toc
↑ミシガン大学がeeboを何故か一部?テキスト化した上で公開してて、これは無料で読める。
そして黒い背景のところにうっすら書かれている文字(すっごい見辛くてすみません)は、超有名!ホッブスの『リヴァイアサン』からとっています。リヴァイアサンは第二部が「コモンウェルスについて(国家について)」なのですが、そこに植民地についての記述があるんですよね。大した文量では無いのですが、少しだけ植民地とは何なのかの定義が書いてあります。先ほど紹介した、F・ベーコンの『植民地について』と同様、植民地は国家の子供だそうです。可愛いね!(←この喩えが好きなので一生擦ってるオタク)
省略せずにその箇所を全部抜き書きしちゃいましょうか。
「《コモン-ウェルスの子供達は移民coloniesである》コモン-ウェルスの生殖すなわち子供たちは、われわれが植民plantationsとか移民coloniesとかよぶものであって、それは、住民が以前に退去したり、そのときに戦争によって退去させられたりした、諸外国に居住するために、指揮者または総督のもとにそのコモン-ウェルスからおくりだされるおおくの人びとのことである。そして、移民が定住したばあいには、かれらは、かれらをおくったかれらの主権者への臣従を解除された、かれら自身のコモン-ウェルスであるか、そうでなければ、ローマの人民の諸移民のようにかれらの母国への結合をもちつづける。」(水田洋訳『リヴァイアサン』2, p.145-146)
長え…!ブログで引用するには長え…!coloniesとplantationsの使い分けで既に勘の良い方は、おっ?となったと思うように、この文章について言いたいことは色々ありますが、今回はややこしいので飛ばします。一つ言うならば、17世紀半ば時点では別に変でもなんでもない用法です。
オタク的にはさあ!生殖とか言っちゃってんのがさあ!刺さっちゃうね!!子供なんだねえ〜
なんでこんなのを引用してるかというと最大の理由は元ネタの本自体が有名だからでしか無いです。植民地の定義としてもそこそこ知られているものではあります。使い勝手はあんま良くない…

フランス植民地局くんの絵!デカデカと書いてあるLa France NouvelleはPrévost-Paradolという人の書いた本の題名です。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k243303/f1.item
19世紀半ばに刊行された本で、フランスの帝国主義時代における植民地拡大への大衆の膨張主義を後押しすることになったきっかけの本!です。お気づきの通り、この絵のキャラクターはアンシャンレジームのキャラなので、はい、時代がめちゃくちゃズレてるんですが、題名カッコよくて好きなんだよ…。(そんな理由で…)

アメリカ〜!だいぶ前の絵ですが覚えてくれてる方いらっしゃったら嬉しいやつ。アメリカ独立イメージで描いたやつでした。
なんとこの絵、ど真ん中の文字は独立と全然関係ないです。19世紀末にイギリス人がアメリカについて書いた The American Commonwealth という本があり、その題名がカッコいいので持ってきた…だけ!です!(嘘でしょ…)このときのアメリカの性質とか統治機構について記述しているものではあるので、連邦政府くんを中心に持ってきている絵としては、当たらずとも遠からずではあるのですが、まあ、関係ないです。
https://oll.libertyfund.org/titles/mcdowell-the-american-commonwealth-vol-1
↑ネットで読めます。有名な本ではあるのでぜひ。
右下の1776は独立宣言の年。左下の文言は独立宣言の文言です。全ての人民は平等であり〜幸福を追求する権利がある〜みたいなところ。この箇所美しくて好き。

またアメリカ連邦政府くんの絵。これはめーっちゃマイナーなやつです。引用元が結構はっきり絵の中に書かれているのですが、Vedasto Jose Samonteという人の書いた、The American System of Colonial Administration です。著者の名前的にフィリピン系の人の可能性もかなり高い(当時はフィリピンはアメリカ統治下)のですが、私の貧弱なサーチ力では何も分からず…。本自体はどうやらアイオワ大学に提出した博士論文が元らしいです。当時のアメリカの植民地統治について、かなり体制に好意的に、そして分かりやすく記述しているため、面白くて引用しています。
なんで私がそんな本を知っているかって…?持っているからですね。


アメリカの植民政策論を調べていた際に存在を知ったのですが、たまたま手に入る価格で出回っていたため、購入…した…やつ…。今見たらマニラで印刷されてたやつだ。まだまだ知らない面白い植民政策の総論が世の中には沢山あるらしい。素晴らしい世の中です。

国際連盟ちゃんの絵。右上の文字は連盟規約です。序文?のところに書いてあるやつ。変哲のない引用ですが、引用元が分かりやすい&知名度が高そうという理由からも、この絵自体はかなり気に入っています。

拓務省ちゃん。これも引用元が分かりやすく書いてある。細川嘉六という植民政策学者がいるのですが、その人の書いた『植民史』という本の最初の部分から持ってきました。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001194944
戦間期の植民地獲得競争の切羽詰まった感が一番出るのって、個人的には、世界の総面積/総人口の独占具合だと思っています。数字だけでドーンっと、あ、もう空いてる場所なんて、逃げ場なんてないんだ、というのを突きつけることができちゃう。それが分かりやすければどの本を引用してきてもいいっちゃよかった…のですが、この本が手元にあったこと、それから細川嘉六という人が、社会主義者(帝国主義論を全面的に受容しています)であり、日本の植民地支配に批判的だったことが皮肉っぽくて、この本から引用しました。
ということでここ一年ぐらい楽しく文字入れして遊んでいる絵、の解説はそんなもんでしょうか!ここで紹介した絵に書いてあるけど特に言及がないのはオリジナルの文言だったりします。
書いてて、解説が非常〜に面倒だったので(リンク貼ったり等々)、過去の私💢という気持ちが強まってきました。
また溜まってきたら解説するかもしれません。
ここまで読んでくれてありがとう〜⭐︎
らんらん
オランダ勢の話です(今回はほとんど創作設定の話であんまり史実要素はありません!気になったら調べてみて下さい)
自創作には4人オランダのメインキャラがいるのですが(最近ケープちゃんが実装されたのですが、英領になってしまうのでNNと一緒で今回は無しに、、)、これは2世代という構成になっています。

左2人が第二世代で、右2人が第一世代ですね。
オランダ植民省とNHMちゃんは、VOCの子供というポジションです。子供というか、後継者なのですが、どうしてもオランダに繁栄をもたらした伝説的な大企業としてのイメージがVOCにあるのもあって、会社の遺児、という感じなんです。オランダの「繁栄」とされる時期も19cになると終わり、下り坂なわけですし、めとろぽにおいては、VOCという父親/前任者の陰が常に付き纏い続ける子供達というイメージで描いています。

VOCは1799に解散されて、完全に死ぬのですが、その後継事務を政府側から担ったのがオランダ植民省(この時はまだ省庁としての形ではなく、もっとぼんやりした小さな組織でした)で、形としては、死んだ父親の多額の借金を肩代わりさせられている感じです。

これはVOCが死ぬ時の漫画↑ 描いてて気づいたのですが、この状況下にあるってことは、VOC最後の方は軟禁状態でしょうね、、。
その割にはオランダ植民省は結構のほほんとしている感じの子です。その後フランス占領期になって、オランダの植民地統治機構というのは、フランスの海軍植民省をベースに再編されたらしいのですが、その影響もあって、漠然とフランスを慕っていますし、イギリスに対しても純粋に憧れを抱くなどしています。ジャワからの輸出を規制しない割には、自国の船の改良が進まなかったらしく、イギリスに植民地産物の輸出を掻っ攫われたり、、、。
自立が早く我も強かったVOCと比べて、要は腑抜けているわけなんですが、流石に駄目だろ!ということで、オランダ側がちゃんと植民地から利益を引き出すために作った新しい会社、が、NHMちゃんというわけです。
NHMちゃんは植民省に喝を入れている感じのイメージですね。


植民省自体も1830年に強制栽培制度を導入して、やっと本格的な植民地政策を実施していくことになります。なので、30年代から強制栽培制度が下火になっていく(廃止されたりするのはもっと後ですが)40年代後半までが、植民省とNHMちゃんの蜜月時代なんです。とはいっても仲がいいというより、仕事上のパートナーです。ただ、分かり合える唯一の存在なので色々とお互いに思うことはあると思います。

最後におふざけ漫画を出して今回の話はおしまい!50s以降の2人はどうなのかとか、一緒に仕事してた時に互いにどういう想いでいたかは、そのうち漫画描けるといいな〜と思っています。

オーストラリア旅行(3) NSW編
前回の続きです(当たり前)
更新をサボっていたせいで、記憶が朧げに…
旅行には生物専攻の友人と来ており、私が博物館と史跡に彼女を連れ回したということは、私も自然を見に車を飛ばさないといけないということです。
ということで、シドニー滞在中に1日車を借りて、ブルーマウンテンの方に行ってきました。

ブルーマウンテンに行く時の観光拠点の街、カトゥーンバ。素敵な町でした。


(おそらく)ユーカリの木。めちゃ高さがある。
見覚えのない植物が沢山生えていて、それを観察しながら散策するのも中々楽しい。

スリーシスターズというアボリジニの神話に関わる岩?らしいです。あまりにも何も知らない…
とても綺麗だった。天気も良かったです。
天気のことですが、NSW(ニューサウスウェールズ州の略号、New South Wales)の乾燥すること!前の記事で花粉が酷いと書きましたが、シドニーの場合は乾燥が相まって特に酷くなるような気がしました。19c前半の文献だとシドニーは水不足で酷評されている場所で、大都市を作るには適さない!と言われているのを考えると、今のように大きくなったのは凄いよな〜(謎目線)と思うと共に、一度作ってしまった入植地って変えられないよな…(思い当たるのが結構あるぞ…)と思うなど…。
これはあまりにも余談なのですが、実は旅行で車をつかったのは初めてで、レンタカーする際に少々バタバタしました。オーストラリアは保険の関係で多くのレンタカー会社が21歳以上にしか貸してくれないのですが、私はまだギリギリ20なので借りれず…。友人が21なので借りれそうなものですが、友人は免許取り立てなのでこれまた借りれないんです。少しばかりある貸してくれるレンタカー会社を使って(おそらく保険料金を完全に別でかけるので可能なのだと思う)旅行しました。NSWの時はなんとか借りれましたが、その後一度借りそびれてしまうことがあり、旅程を変更する羽目になったので、旅行でレンタカーを使う時はきちんと前もって調べて予約しておこう!ということですね。
オーストラリアは交通ルールが厳しい国で、少しのスピード違反で結構捕まって罰金が課されるらしいです(そして野井さんは今回最後にこの伏線を回収することになります)。NSWは町中に監視カメラが設置されているらしく、至る所に「NSW州は監視カメラを設置しています」の看板がありました。そして実際皆めちゃくちゃ法定速度を守ります。なので凄く運転はしやすい。シドニー周辺は特にしっかり守られていました。しかし慣れてくると、カメラ無いところでは皆息を合わせたように若干加速します。そしてすぐまた法定速度に戻る。中々愉快な気持ちになります。
4日目はシドニーからパラマッタ川を少し上がったところにあるコッカトゥー島の刑務所跡地に行きました。これも流刑地として使われてたやつの跡で世界遺産に登録されているものの一つです。


オーストラリアでの再犯などが送り込まれる場所だったらしいです。19世紀の最初の頃はノーフォーク島にとりあえず送り込んでいたと思いますが、その後一回やめてノーフォークは凶悪犯用になったのだっけ…(全然詳しく無いため話すのをやめる)。

流刑制度が廃止された後は、造船所として使われていたらしい。

これはsolitary confinement と言って、この暗くて狭い場所に受刑者を閉じ込める刑罰に使われていた部屋です。ここに場合によっては何日も-何ヶ月も閉じ込めることがあるらしい。今回訪れた大体すべての刑務所跡地にありました。これと鞭打ちが刑務所でなんかやらかした場合の罰の定番らしいです。

パラマッタ川〜
シドニー湾から奥に入っていくと、この川です。もうちょっと遡上したところにパラマッタという街があり、シドニーが流刑地として現役だった頃は、女性刑務所がありました。刑務所は当然男女別ですし、一回に輸送するのも男女別になります。
ボタニー湾が有名ですが(入植初期はオーストラリアもといNSWの代名詞ですね)、あっちはシドニー湾より一つ南の湾で、今は空港が面しています。去年ニュージーランドに行った際、シドニー乗り換えだったのですが、ボタニー湾が上空から見えて感動した記憶があります。
そんなこんなでシドニーに四日間滞在して、5日目にタスマニア島(もといタスマニア州)の中心都市であるホバートに向かいました。
(続く)