こんにちは!久々の更新です。
昨日の夜あまり寝れなくて、少し寝不足なのでブログを更新したい気持ちになりました。
もうケベックに来てから1週間程が経つのですが、まだ十分の観光した感じではなく、意外と明確に旅行記として書けそうなことが実はないんです。今回は長期旅行という感じにしたかったので、語学学校に登録して、平日は学校、休日は旅行という体をとっています。かなりゆっくりだらだらと生活しています。あと語学の勉強をやたらしています。ということで(?)、今回は色々とこっちに来たきっかけや来るまでの話をだらだらと書くことにします。
何年か前から一度カナダに行ってみたいと思っていたのですが、大学生になり、まとまった時間が取れるようになったため漸く念願のカナダ行きを決行することにしました。このブログの過去記事の変遷を見れば察せると思うのですが、私がカナダ史そのものにハマっていたのは大体2年前で、その後植民地主義全般を調べるようになったので、実はカナダ史に愛着はあるものの、そこまで詳しくはない、という状況にあります。どちらかというと、英国自治領だった土地に行ってみたい!という気持ちの方が強かったです。(今では英帝国史(主に植民地主義史)内部でのカナダの位置付けの方に関心があります。)
私はほんのりフランス領贔屓なので、どうせならケベックに行ってみたい!と思って今回はケベックシティに滞在することにしました。
ケベックはフランス領時代は「カナダ」とされていた領域が大体で(フランス領北米はアカディア、カナダ、ルイジアナから成っています。)、七年戦争の後からイギリス領になっているのですが、長年フランス系カナダ人の居住地として一時はイギリス政府により同化政策が進められたものの、その後権利がかなり認められて、今では個別の言語圏という感じです。連合カナダ時代(1840〜1867)がイギリスによる同化政策が最も分かりやすく出ているのですが、その時ですらイギリス系(当時は西カナダ、今ではオンタリオ州です、トロントが中心都市)がフランス系を拒絶しては話し合いが成り立たないので、議会では両言語の使用がイギリス政府との交渉の末認められていたりしました。なので、当時の議事録などを見るとどちらの言語も書いてあったりします。
今現在、ここでは公用語はフランス語です。(困った事に、私はフランス語をちゃんと学んだ事がない上、独学で頭に叩き込めるほどの語学力が無かったので、本当に何も分からない状態でケベックにきました。余裕があればその話は別の記事で書きます。)カナダは国の公用語が2つ(英語とフランス語)なので、商品名などの表示は、両言語が書かれており買い物はしやすいのですが、州ごとに公用語があり、ケベック州はフランス語のみとなっています。フランス語と英語どちらもが公用語の州はニューブランズウィック州だけで、残りは英語圏となっています。
さて、私は今回、成田空港からモントリオール・トルドー空港まで直便の飛行機で行きました。シカゴで乗り換えるものもありましたが、少しビビってしまったのと乗り換えると合計時間がかなり伸びるので快適さを優先して直便です。面倒くさくなってしまったのでかかった時間はほぼ意識してなかったのですが、後で数えたところ恐らく11時間と少しぐらいかかったのだ判明しました。飛行機の中では基本寝ていたので正味かかった時間の実感はありません。モントリオール行きという事もあって、成田空港で飛行機を待っている間から既に周囲の人がフランス語で話す!やっぱり本当に公用語がフランス語なんだなあ〜と思いつつも、分からない言語という事で割とビビりました。
ちなみにモントリオールはケベック州最大の都市です。最近ではバンクーバーの人口が爆伸びしているのでどうなのだろうと思いましたが、今調べたところまだ第二位だそうです。現在の一位は当然ながらトロントなのですが、ここがイギリス領になってからしばらくの間(大体19c半ばぐらいまで)はモントリオールが人口第一位でした。
初日は夜に着くし、そこからそのままバスでケベックシティに行くのはきついのでモントリオールのホテルに泊まりました。
モントリオールトルドー空港から見えた飛行機
(続く)
ps
書いて思ったのですが、かなり自分の備忘録のようになります。さらに自分のカナダに関する知識はものによっては最終更新日2年前のかなり怪しいものとなっているので、乱雑に書いていきますが、信憑性は低い事を考慮して頂けるとありがたいです。